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先生プロフィール

総院長 花谷博幸ストーリー

◆苦労した青年時代

◆全国の院長を20年以上、年20本ペースで指導 全国に会員

◆整骨院 お弟子と息子

◆追求してきたのは「立った瞬間に整う」治療

 

― 「立った瞬間、整っている」が生まれるまで ―

人は、何のために人生をかけるのか。

「人が、立った瞬間に整う治療を追求すること」

その原点は、実は“弱さ”から始まりました。


傷だらけの少年時代

私は2750g、仮死状態で生まれました。母は妊娠中、「危ない」と医師から告げられていたそうです。だからこそ今、こうして五体満足で、毎日を情熱的に生きられること、健康に産み育ててくれた両親には感謝しかありません。

hh_prof01走るのが速く、私は陸上競技に打ち込んでいました。しかし現実はケガとの戦い。富士見市内の整形外科、接骨院に通う日々。特に中学時代は記録も伸びず、怪我ばかりの悩み多い少年でした。

高校に入ると一転、身長も伸び、体力もつき、競技成績も上向き始めます。そんな青春を楽しめるようになった頃、人生を変える出会いが訪れました。父に連れられ、都内の治療院へ。そこで、人生の師となる人物――池上六朗先生と出会います。

その瞬間から、私は決まっていました。

「こんなカッコいい人になりたい」

治療技術だけではない。世界を知る見識、文化への知的好奇心、人生の楽しみ方、人への向き合い方。師は、治療を通して“生き方”そのものを教えてくれました。高校生から28年間、私は毎週門を叩き学び続けました。今も師匠は死しても私を啓発してくれています。


未開の中国に飛び込む

1989年5月の天安門事件から4か月後、私は中国医学を学ぶために中国へ渡ります。

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場所は山西省太原市。日本人がいない環境。言葉もわからない。1年後には大学病院内での臨床研修。中国でも初めての外国人研修生ということで2年目には、患者を担当し、最高峰の医師たちから、鍼灸、漢方、そして循環器科を専任マンツーマンで叩き込まれました。あの時代だからできた機会でした。

毎日が必死でした。すべて中国語での医学教育です。今でも夢が中国語であるくらい、あの3年間が、私の“治療家としての土台”をつくったのだと思います。

 


開業。貧乏治療家時代

帰国後、鍼灸専門学校に入学し国家資格を取得。そして余裕で開業して大成功!

・・・しかし、現実は甘くありませんでした。

患者さんが来ない。

治療ができるだけで繁盛の道は開けませんでした。売上はずっとギリギリ、開業からの約7年間、私は“たった一人の貧乏治療家”でした。

ただそれでも、師匠に憧れ、友に恵まれ、自分を夢を疑いませんでした。

師に学び、技術を磨く。

書を読み、人間力を磨く。

人に触れ、知見を広め。

毎月読書20冊、映画10本は20年間のノルマ。

私の夢ノートは気づけば73冊に。

「今は苦しくても、必ず未来につながる」そう信じて、ノルマを積み重ねました。


火事。すべてを失いかけた日

1999年、内装工事を終え、移転したばかりの治療院。患者さんが増え始めた頃、その2階店舗の階下から火災が発生。院内は煙に包まれ、長期休業へ。

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消防士から言われました。「貴重品を持って帰ってください」私は現金とカルテを、妻が抱えていたのは――スリッパ。移転当時、最後まで悩み抜いて選んだのがそのスリッパだったからです。

人生とは面白いものです。不幸は、乗り越えれば“伝説”になる。今でも火事の体験話は全国セミナーで笑いが起きる鉄板ネタです。


人生最大の決断!

2003年3月、私の人生で最も大きな「怖い決断」でした。院運営が安定し始めた頃、私は全国の治療家向けに研究会を立ち上げます。まだ全国には私より優秀な先輩たちがゴロゴロいる中、全国に向け人差し指を掲げたのです。すると器以上の反響があり一気に全国区で注目されることに。受講生は全国の猛者ばかりでしたが、多くの猛者たちに「こんなのが欲しかった」と助けてもらいながら、血を吐いて入院するほど、自分の実力以上のスピードで走った30代。

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研究会のテーマは、「技術と経営、両方を学べる場作り」

そこから早20年以上、年間20本ペースでセミナー開催しています。全国1000院超の院長たちが門下が集まり離れ、現在もブログでの情報発信、リアルセミナー、zoomセミナーでと現場情報を発信続けています。ブログも無料の頃からもう20年以上書き続けています。

その間、7冊の書籍も出版。業界ではほぼすべてが“バイブル”と呼ばれるようになりました。

花谷ブログ(有料・院長向け)


直弟子を持つ

2009年5月柳瀬川にバランス整骨院を作りました。当初は分院として、直弟子が活躍できる場所として。

2013年には、みずほ台本店と柳瀬川分院の統合をし、私自身の拠点も柳瀬川に移りました。全国から集まるお弟子希望者たち、みんなやる気のある青年たちでしたが、一癖二癖ある屈折した者たちばかり、苦労も多かったですが全員が今、自分の城を持ち活躍してくれています。

昭和の指導に「治療業界の虎の穴」と言われ、ゲンコツは全員、入社試験が腕立て100回なんてこともありました。毎度毎度私も全力投球、私自身も初めての経験ばかり、しかし各自が花谷に憧れ、自分の未来を信じて成長してく姿がとても眩しく思っていました。人生は彼ら自身が作るものですが、治療家としては全員最高級の作品が作れたと思っています。

お弟子の全員がこの柳瀬川で自分の担当患者さんを持ち、患者さんから応援されていることが、今の彼らを作っています。厚く御礼申し上げます。

また深い縁を得た女子スタッフたちの献身的なサポートがあって、この院もお弟子らも成り立ってきました。有難う。

   

 


息子を持つ

長男が生まれた時、私は決めました。「いつか二人でインドのスラムを歩く」そして2012年、実現。

小学5年生の長男と、当時世界最大のインドのスラムを歩きました。息子たちに伝えたかったことがあります。

「旅のスキルこそ、生きるスキル」

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世界を知れば、人は強くなる。その後長男は成人になりフィリピンに留学、一人でリュック一つでインドに行きました。

そして2024年、中学3年生の次男とリュク一つで中国へ。36年前、自分の人生を変えた原点を共に歩きました。天安門の前を自転車で激走し、1日1.5万歩で中国大陸を歩き、電車で地方都市まで。小さい頃から体育館で卓球しかしてこなかった次男に伝えたかったこと。

「世界は、もっと広いぜ」

   

私から息子たちへの遺言こそ旅でした。


そして今、たどり着く答え

30年以上、私は問い続けてきました。

「最上級の治療とは何か?」「上質な治療とは何か?」

   

その答えが “立った瞬間、整っているのがわかる治療”

一瞬で痛みを取る技ではない。

痛みだけを視るのではない。

姿勢だけを視るのでもない。

身体全体のバランスを整え、立った瞬間から、毎日が前向きに動き出すきっかけをつくる。それが、私の目指す治療です。

 

2026年で開業34年、いつの間にか直弟子達も増え、今はただ、上質な治療を求めつつ、業界をリードし、全国にいる後進を育成し、背中で夢を語れる男になれるよう行動し続けることだと思っています。そのためにも自分の活動の中心である、このバランス整骨院を業界で日本で最もリスペクトされる治療院にしていきたいと思っています。これからも日本トップレベルの治療とホスピタリティの提供と、縁に選ばれた患者さんたちとゴキゲンな治療院を目指します。

柳瀬川のこの地に、街のオアシスとして存在できることを目指していきます。どうぞ今後とも末永くご愛顧よろしくお願いします。

 

花谷博幸(はなたにひろゆき)

 

 

菊地浩平ストーリー

初めまして、青森県出身の菊地浩平(きくち こうへい)です。

私は、教師の両親の一人っ子として生まれ育ちました。幼少の頃は体が弱く、何度も熱性痙攣を起こして入退院を繰り返していたそうです。そんな私も昔の病弱さが嘘のように中学、高校では6年間皆勤賞を取るほどの丈夫な青年になりました。今まで丈夫に育ててくれた両親には心から感謝しています。

そんな私の幼い頃からの夢は、飛行機の整備士になることでした。いわゆる航空整備士という職業です。その夢をずっと追い続けていましたが、高校2年生の冬、唐突に、治療家になりたい!と思うようになりました。一番影響されたのは、私が通っていた整骨院の先生の存在でした。学生時代、陸上競技一筋で部活をしていた私は多くの怪我を経験してきました。その都度お世話になり治療してくれていた整骨院の先生。私自身も「こんな先生になりたい!」。この想いが日に日に強くなっていき、人を助け、身体だけでなく心の痛みもケアができる、柔道整復師という仕事を志すことになったのです。また、身近な従兄弟が同じ柔道整復師という仕事をしていたことも私の夢を変えた大きな要因だったのかもしれません。

目標が明確になってきたある日、その思いを両親に伝えると、想像を超えて両親が驚いていた姿を今でも鮮明に覚えています。両親にも希望はあったかもしれませんが、私の両親はいつでも私の意志を尊重してくれました

 高校卒業後、お世話になった整骨院の先生と従兄弟の母校であり、業界トップの日本健康医療専門学校に進むことになりました。初めて親元を離れ、憧れの東京での一人暮らしを思い描いていましたが、上京直後、青森との空気感や雰囲気の違いから、とてつもないホームシックに襲われ、自分の居場所を失いかけました。ただクラス長として同級生一人も欠けることなく全員で国試合格をするんだという目標を得ることで自然と東京生活にも慣れていきました(お陰で同級生64名全員国試合格しました)。

ある時、専門学校の担任が「凄いチャンスをやる」と言って花谷先生がたまたま学生の求人をしていることを紹介してくださいました。私は二つ返事で「是非、お会いしたいです!」とお願いしました。初めてお会いした時の花谷先生の力強い握手は今でも忘れることができません。その後は研修生として花谷先生のセミナーに帯同させていただき、こんなに凄い人の下で仕事ができるチャンスを逃すわけにはいかない!と思い、必死でバランスの仕事を覚え、全国の院長先生たちと厳しい組手実習による治療指導を受けました。そして2021年春、晴れて国家試験合格!専門学校で過ごした3年間は、今までの人生の中で最も濃密で充実した時間だったと確信しています。

学業と同級生、バランスでの仕事、東京でのたくさんの新しい体験ができました。これまで、私を導いてくださった両親をはじめ、バランス整骨院の先輩たちに負けないよう精一杯、夢をやり切りたいと思います。皆様どうかよろしくお願い致します!

 

菊地浩平(きくち こうへい)

 

 

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